休業と散歩と野良猫の件(1)

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 休業中は気紛れに散歩ばかりしていた。

 今いる場所に越してきてから10数年経つが職場と家の往復ばかりで実はこの辺りのことをあまり把握してはいない。多忙を言い訳に地域の付き合いもないので当然親しく喋る相手などなく、用事もまた無い。

 休業当初は家に籠もっていた。本を読み返してみたり、ラジオを聴きながら部屋の整理をして必要なら収納の家具を自作したりしていた。

 DIYも始めてみると面白くなって壁面のいたる所に棚が出来上がってしまった。しかし家族から非難の視線を受け、何事もバランスが大事だと気付き、DIYはあっさり終了。

 そのうち緊急事態宣言が出され子供達も家にいる様になった。嫁は感染に怯えながらも八百屋のレジ打ちで働いている。そこでチャンス到来。私は密やかな趣味を持っている。それは商店街やスーパーで鮮魚や肉、野菜などを眺めたり購入しそれらを料理する事である。逼迫した家計内でベストなチョイスを!との使命を帯びて食材選びから料理までをしばらく嬉々としてこなしていった。これは概ね好評だったと思う。旨いかと訊くと大概頷くからだ。

 やがて緊急事態宣言が解除され子供達は再開された授業のため登校し始めた。嫁は相変わらず忙しそうに働いている。

 しかしエンタメ業界に属する私の休業は継続中である。

 残暑を過ぎ、朝晩が過ごしやすい時期に移ってきた。それにつれ、お腹の出っ張りが目立つ様になってきた。知らぬ間に両肩も上がり辛くなっていた。明らかに運動不足だ。でも走るのは嫌だ、ちょっと歩いてみようかと思い付いた。そこで冒頭につながる。

 休業中(半ばから)は気紛れに散歩ばかりしていた、と。

 住んでいる地域の辺りは道が非常に複雑で、毛細血管の様に枝分かれしていたり不意に行き止まりになっていたりする。真っ直ぐな道路が少ないので走る車はほぼ全て徐行運転である。歩行者にとって安全かというとそんなことはなく、道幅が狭いので気を付けなくてはならない。特に夜間は。

 大人になった私は合理的な考えを持って行動している。それは目的地へ行く時は常に最短距離を選ぶようにしているからである。駅や少し離れた公園や商店街へ向かう時も決めた経路以外はまず通らない。職業柄と言うこともあるかも知れない。秒間にこだわるのは長い時間をかけて得た宿痾みたいなものなのだろう。

 子供の時分、学校へ行くために家を出たのに田圃の畦道をうろついたり公園にある土管のなかに潜んで空想に耽っていた事はまだ憶えているから後天的に備わった気質だと思う。

 散歩である。目的地があればそれは散歩がてらになってしまう筈だ。だから目的地を決めずに出だしの方向だけ大雑把に決めて歩くことにした。歩き疲れたらどこか座れる場所があれば座り、無ければ立ち止まって休んだ。

 幾日か散歩を続けてわかった事は広く真っ直ぐな道は風景の変わるのが遅くて面白くない事だ。遠くに見えるものが徐々に近づいてはゆっくり遠去かるだけである。曲がりくねった細い道は唐突に風景が変わったりして飽きない。後もうひとつ挙げるなら、考え事をするにはとても都合が良いと言う所であろうか。無心で歩く事など、少なくとも私には無い。頭の中に流行り歌や好んで聴いてきた曲の断片が流れては消えてゆく。周りに人がいないことを確かめながらそれらを小さな声でくちずさんでみたりする。あと、過去の感情の断片や出来事の際に交わされた会話を反芻していたりすることが多い。

 睡眠時に脳は過去の情報の整理をしているという話を聞いた事がある。寝ている間でさえも人は無心ではいられない。常に整合性を求めるという事の意味や役割は何なのか、そんなことを考えながらゆっくり歩いていると線路の高架下が広がる通りに出た。その高架下はタイル敷の歩道になっていて、数百メートル先の駅まで続いているようだ。

 そこまでいってみようと思い、足を向けた。

歩道の両脇には腰掛けるのに丁度良い段差がある。

 平日昼前のこの通りには人気なく時折犬を連れた人を見かける程度だった。人がいない代わりに猫がいた。

 それも沢山。近づいても逃げる事なく悠々と佇んでいたり寝ていたりしている。人に慣れているんだろう。 なかには私と目が合うと猫撫で声で近づいてきて足に体を擦り付けてきたりするものもいる。人違いしているんじゃなかろうか。それとも痒いんだろうか。猫に触れたのは久しぶりだ。

 今まで猫に関わった事は二度ばかりある。 

 一度めはよくある話で、ダンボールに入れて置かれてあった子猫を子供であった私が家に持ち帰ったのだ。その茶虎の牡猫に名前をつけて五年ほど一緒に暮らした。

 ある事情で遠方に引っ越さなければならなくなった。

 親から転居先へは猫を連れてはいけないから犬訓練所へ預けると告げられた。兄と私はコタツに潜り込んで泣いた。翌日学校から帰ってみると猫はもう家の中に居なかった。それっきりその猫と再び逢う事は無かった。

 二度めの関わりは大人になってからだ。

 当時アパートの一階で独り暮らしをしていた。狭い部屋だったが北向きの掃き出し窓を開けた先には三方コンクリート塀で囲われた広いスペースが付いていた。他人の出入りが無いため、しばしば窓を開けたまま外出する事があった。

 ある冬の遅い晩の帰宅後、灯りを消してベッドに入り込んだ時、違和感を感じて急いで灯りを点けた。温かく柔らかい感触がしたからだ。

 掛け布団を剥いだ先にシーツの上に生まれたての猫4匹と親猫1匹がいた。

 酒に酔って判断力が鈍っているうえに睡魔が襲ってきている状況の中、出来ることはしたつもりだ。ダンボールの中にセーターを敷きそこへ子猫を1匹づつ最後に親猫を収めて灯りを消してベッドに入り込み直ぐ眠りに落ちた。

 次に目が覚めた時、暗がりの中親猫が何匹目かの子猫を口に咥え布団の中へ入り込もうとしている所だった。そのまま放って置いて目を閉じた。踏み潰さないことを願いながら。

 朝状況が変わって無いのを確認してから仕事に出かけた。餌の用意はしなかった。親猫がなんとかするだろう。独り暮らしの冷蔵庫には猫に食べさせる物など入ってはいないのだから。

 この後の経緯は記憶が曖昧だ。

 親子が何日私のベッドを占有していたのか、いつ出て行ったのかよく覚えていない。結果的に黒色の子猫が1匹見捨てられた。窓の外で痙攣して転がっている所を見つけて動物病院へ運んだ。医者が言うには生後まもない子猫が親に捨てられたらすぐ死んでしまうそうだ。運が良ければ育つかも知れないとの事だった。便の出させ方を教えて貰い家へ連れ帰った。

 昼間に家を空ける身としては子猫の世話は到底無理だと知り合いの家へ預けた。何度か顔を見せるために連れてきてくれたりしたが結局育つ事は叶わなかった。

 それっきり猫との縁は切れてしまい今に至る。

歩いていると擦り寄ってきた雌猫。左耳の切り込みは、不妊手術済みの印。

 駅までたどり着いた。そこに用事はないので来た道を引き返す事にした。

 

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